Close Cover ~memorandum~
https://closecover.blog.ss-blog.jp/
ただの雑記です。ぱらぱらとめくってみてください。
bluenote
2016-05-08T21:11:50+09:00
ja
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誰の「惑星」
https://closecover.blog.ss-blog.jp/2016-05-08
高校のとき、放送部みたいなものに入部していた。(放送だけでは人数が足りなくて、アマチュア無線と一緒になって部活動を行っていた。)その頃はCDではなく、まだレコードの時代でしかもレンタルもなかったので、昼休みにかける音楽は、放送室に置いてある、クラシック音楽やポールモーリア等のイージーリスニングのレコードあるいは部員各自が持ってきた私物のレコードしか無かった。 そんな中に、シンセサイザーの「惑星」のレコードがあった。SFチックなジャケットと、その音楽に、初めて聞いた時の印象は、「なんだこりゃ?」だった。後になって、その演奏者は、昔聴いて育ったアニメや特撮のテーマ曲の作曲者だと知った。いつの間にか無くなっていたあのLP、誰の趣味だったのだろう‥‥。それぞれの趣味と一致しなかったんだけど。訃報に接し、ふと思い出した。
音楽
bluenote
2016-05-08T21:11:50+09:00
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高校のとき、放送部みたいなものに入部していた。
(放送だけでは人数が足りなくて、
アマチュア無線と一緒になって部活動を行っていた。)
その頃はCDではなく、まだレコードの時代で
しかもレンタルもなかったので、
昼休みにかける音楽は、放送室に置いてある、クラシック音楽や
ポールモーリア等のイージーリスニングのレコード
あるいは部員各自が持ってきた私物のレコードしか無かった。
そんな中に、シンセサイザーの「惑星」のレコードがあった。
SFチックなジャケットと、その音楽に、初めて聞いた時の印象は、
「なんだこりゃ?」だった。
後になって、その演奏者は、昔聴いて育ったアニメや特撮のテーマ曲の作曲者だと知った。
いつの間にか無くなっていたあのLP、誰の趣味だったのだろう‥‥。
それぞれの趣味と一致しなかったんだけど。
訃報に接し、ふと思い出した。
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あのころ ラジオ 夏 ‥‥‥。
https://closecover.blog.ss-blog.jp/2016-04-18
遠い昔、学生の頃、夏になると聴いた朗読が2つある。「かわいそうなぞう」 と 「ともしび」。いつも終戦の日の頃に、秋山さんの朗読で「かわいそうなぞう」を聞くのが、夏の恒例行事でした。ご冥福をお祈りいたします。今回の、秋山ちえ子さんの訃報に、もう一つ、夏に聴いていた朗読を思い出し、調べてみたところ鈴木由里さんの手記であるということがわかり、こちらも紹介したいと思いました。「ともしび」の方は、今回調べてみてわかったタイトルです。小島一慶さんのパックインミュージックで8月の終わりの頃に朗読されていたものです。朗読された音源はないようですが、文字で起こされているサイトがあったので、貼っておきます。ぜひ、読んでみてください。音源がないのが残念です。 http://cavtot.at.webry.info/200504/article_5.html
ラジオ
bluenote
2016-04-18T23:15:53+09:00
「かわいそうなぞう」 と 「ともしび」。
いつも終戦の日の頃に、秋山さんの朗読で「かわいそうなぞう」を聞くのが、
夏の恒例行事でした。
ご冥福をお祈りいたします。
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今回の、秋山ちえ子さんの訃報に、
もう一つ、夏に聴いていた朗読を思い出し、調べてみたところ
鈴木由里さんの手記であるということがわかり、こちらも紹介したいと思いました。
「ともしび」の方は、今回調べてみてわかったタイトルです。
小島一慶さんのパックインミュージックで8月の終わりの頃に朗読されていたものです。
朗読された音源はないようですが、文字で起こされているサイトがあったので、
貼っておきます。
ぜひ、読んでみてください。
音源がないのが残念です。
http://cavtot.at.webry.info/200504/article_5.html
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一本の音楽が‥‥
https://closecover.blog.ss-blog.jp/2016-02-24
音楽
bluenote
2016-02-24T20:11:31+09:00
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A LONG VACATION
https://closecover.blog.ss-blog.jp/2013-12-31
ただのLONG VACATIONだったらいいのに。思い出はモノクローム色をつけてくれ …。合掌
音楽
bluenote
2013-12-31T12:40:52+09:00
思い出はモノクローム
色をつけてくれ …。
合掌
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シタマチ
https://closecover.blog.ss-blog.jp/2012-07-15
東京の恵比寿の地名の由来を御存じであろうか。
雑記
bluenote
2012-07-15T12:57:24+09:00
その昔、現在の恵比寿駅の近くに恵比寿ビールの工場が作られ、
ビール出荷のための停留所(今でいうところの「駅」)が開業した。
しばらくして、荷物だけでなく乗降客も利用する旅客駅も併設され、
その駅名が、近くにめぼしい物が無かったため、
工場で作っていたビールの名前にちなんで、「恵比寿駅」となり、
それにともない、付近の地名も「恵比寿」と
成っていったとのことである。
地名の恵比寿が先にあったのではなく、
近くにある恵比寿神社も、
地名が恵比寿に変わってから後に作られている。
そして、そのビールを作っていた工場の跡地というのが
現在の「ガーデンプレイス」である。
東京スカイツリーが開業して1カ月半程経って、
当日券も発売するようになった。
間もなく夏休みも始まり
多くの観光客が訪れることだろう。
ただ、ツリー周辺の商店街は、
開業前の賑わいに比べ、
ソラマチ等のツリーの周辺施設にのみ人が流れ、
思ったほどの売り上げアップはしていないようである。
当初ほど地元の振興には繋がらず、
ゴミ、騒音など負の面も表れてきている。
それでも人の流れが変わり、町も変わっていくだろう。
駅名も「業平橋駅」から「東京スカイツリー駅」に変ったことだし。
良くも悪くも現代風に成っていくのだろう。
もしかしたら、何年かすると、
青山や麻布、白金に並んで
押上が人気のある住宅街に成っていないとも限らない。
ただ、確実なことは、
10年もすると「下町」の意味を
「スカイツリーの下にある町」
と思い込んでいる若者が多く出てくるのではということである。
その頃には、下町=人情という等式は
成り立たなくなっているのかもしれない。
最も、現時点でも以前ほど人情が無くなっているのかもしれないが。
寅さんに「それを言っちゃあ、おしまいよ」と言われそうだけど…。
葛飾区はスカイツリーのある墨田区と荒川を挟んだ隣の区です。
なぎら健壱は、「一本でもにんじん」や「悲惨な戦い」の他にも
こんな名曲も作っているんです。
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以上で済ませておけば良いものを、
おせっかいなもので…。
聴いたことの無い方の為に「悲惨な戦い」。
昔は放送禁止でした。
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免許更新
https://closecover.blog.ss-blog.jp/2012-06-21
先日、免許証の更新に行ってきた。おかげさまで、ゴールドからゴールドへ更新することができた。そのため、免許センターではなく警察署で更新できるので、地元の警察署で更新することにした。何時まで受け付けているのか確認しようと思ってホームページをみたら、警察署の場所が、移動していた。古くなった建物を建替え中のため、一時的に、少し離れた場所で、「営業」していた。プレハブ2階建ての建物で。大きな地震の時、大丈夫なのかと思ったが、四角いうえに軽量なので案外丈夫なのかもしれない。竜巻が来たら、軽く飛ばされてしまうかも知れないが…。
雑記
bluenote
2012-06-21T20:02:02+09:00
おかげさまで、ゴールドからゴールドへ更新することができた。
そのため、免許センターではなく警察署で更新できるので、
地元の警察署で更新することにした。
何時まで受け付けているのか確認しようと思ってホームページをみたら、
警察署の場所が、移動していた。
古くなった建物を建替え中のため、
一時的に、少し離れた場所で、「営業」していた。
プレハブ2階建ての建物で。
大きな地震の時、大丈夫なのかと思ったが、
四角いうえに軽量なので案外丈夫なのかもしれない。
竜巻が来たら、軽く飛ばされてしまうかも知れないが…。
更新時講習では20分ほどのビデオを見て、
10分ほどの説明があった。
その説明では、自転車に関することが中心になっていた。
通行区分とか、無灯火やヘッドホンをつけた状態で運転してはいけないとか、
自転車でも酔っ払い運転は違反だとかそんなことを聞かされた。
県内の取り締まり状況の説明もあったが、
上記の違反のほかに、整備不良というものもあった。
詳しくは説明されなかったが、例のお笑い芸人が捕まった、
ブレーキに関するものであろう。
芸人が捕まったときの説明で、
いざという時安全に止まることができないので、
前後ともにブレーキが必要であるというものだったと思う。
彼の自転車は前のブレーキは付いていたのだから。
ん?
いざという時、安全に停止することができない?
どこかで聞いたことがあるフレーズだな。
国を治める長であるくせに、
免震重要棟も、フィルターも、堤防も作られていない状態で、
役人と財界の口車に乗って、
たった4人の愚人が勝手に決めて、
(しかも、その中にはフクシマの際、多くの人が被爆をしてしまった時の
戦犯も含まれている。)
原子力発電所の通常運転を「安全」だと宣言し、
認可してしまう。
自転車のブレーキが効かないのは本人と、
もし相手が歩行者や自転車だったらその相手が、
最悪の場合亡くなってしまう程度だろうが(それでも充分罪深いが)、
原子力発電所でもしものことがあったら、
どれほど多くの人々が悲惨な状況になってしまうだろう。
後ろのブレーキが付いていない自転車を運転する行為と
地震が起き、大きな津波が来た場合メルトダウンが起きる可能性が高い
原子力発電所を運転するのを許可する行為と、
どちらも、その段階では問題は起きていないが、
将来的に問題が起きる可能性があるという点で共通している。
しかしいざ起きた場合、どちらの罪が大きいか。
検挙されたとしても、何ら不思議ではないほどの行為だと思うのだが、
どうだろう。
せめて、考えられる問題に対して、
十分対応できる状態にしてから、許可すべきだったのではないだろうか。
いつになるか分からないが、次回の免許の更新は許してはいけない。
日本を運転するには、もう累積の違反点数が多すぎる。
今回も、ブレーキを踏むべきところを、
間違えてアクセルを踏んで、加速してしまった。
ぶつかって、大破しなければよいが。
免許取り消しにできないのがもどかしい。
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八十八夜
https://closecover.blog.ss-blog.jp/2012-04-30
今年の八十八夜は5月1日。「夏も近づく八十八夜…」と歌うのは「茶摘み」という歌。
雑記
bluenote
2012-04-30T07:08:33+09:00
「夏も近づく八十八夜…」と歌うのは「茶摘み」という歌。
小学生の頃の話。
近所にM君という同級生が住んでいた。
このM君、変った男で、
高校受験の時、うちの学区では、
今はどうか知らないがその頃は、
公立で偏差値の比較的高い高校は
男女別の高校になるので、
わざわざ隣の学区の高校を受験して、
無事合格し、
電車を2回乗り継いで、
3年間共学で過ごしたという。
そんなM君。
今頃の季節。音楽の時間。
ある歌を歌う時、ある歌詞のところに来ると、
男子生徒達の視線を浴びることとなっていた。
夏も近づく八十八夜
野にも山にも若葉が繁る
あれに見えるは茶摘じゃないか
あかねだすきにすげの笠
最後の行。
ここを歌う時、男どもはみんなニヤニヤしながら
少し不貞腐れているM君を見ていた。
その時注意して男どもの声を聞いてみると
こう聞こえていたことだろう。
「あかねが好きに すげの笠」
そう、M君は同じくうちの近所に住んでいた、
「あかね」ちゃんが好きだったんですね。
誰かにポロリと言ってしまったのでしょう。
それにしても、よくこんなこと気がつきますよね、
「あかねだすき」と「あかねが好き」
一文字違いで大違い。
いまだに覚えていますもんね。
あかねちゃんは小学生のうちに転校してしまったと記憶しています。
この出来事と、共学にこだわった事とは、
彼の人格形成において、何かつながりがあったのでしょうか…。
わたしは、こちらの「八十八夜」の方が好きです。
NSPの「八十八夜」。NSP、お好きです。その理由は…。
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いつか、時間のあった時に。
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Layla
https://closecover.blog.ss-blog.jp/2012-04-29
ひさかた、ご無沙汰だった挨拶もせず、とりあえず、音楽のみ。
音楽
bluenote
2012-04-29T16:49:40+09:00
とりあえず、音楽のみ。
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夏の終わりにハーモニーが立つザンショ。
https://closecover.blog.ss-blog.jp/2011-08-30
一年ほど前の今頃、行く夏を惜しむ曲を数曲並べました。(http://closecover.blog.so-net.ne.jp/2010-08-25)その時の宿題もありましたので、今年もやってみたいと思います。
音楽
bluenote
2011-08-30T23:15:20+09:00
(http://closecover.blog.so-net.ne.jp/2010-08-25 )
その時の宿題もありましたので、
今年もやってみたいと思います。
まずは昨年の宿題。
昨年、この曲を紹介したかったのですが、
このアーチストのものでいいのが無かったので、
作詞・作曲をしたユーミンのものを紹介いたしました。
今年はあリましたので、聴いてみてください。
麗美 「残暑」。
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何年前のライヴのものか解りませんが、お騒がせのこの人も、やはり歌はうまいですね。
それにもまして、観客の歌の上手なこと!
玉置浩二 「夏の終わりのハーモニー」。
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懐かしいところからも。
キャロル 「夏の終わり」
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こちらも懐かしいところから。
昨年は山下達郎の「さよなら夏の日」を紹介しました。
やはり、削除になってもう見られないようになってます。
今年は達郎がソロになる前に在籍していた、
シュガー・ベイブで、 「夏の終わりに」
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こちらは懐かしくなおかつ珍しいものを。
作曲者の大瀧詠一が歌っています。余計なアナウンスが入ってるのが残念です。
この曲には思い出があるのですが、またの機会に…(書けないか…。)
大瀧詠一 「風立ちぬ」
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井上陽水&玉置浩二になります。原曲です。
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泣かせる味じゃん!
https://closecover.blog.ss-blog.jp/2011-08-15
連日暑い日が続いてます。ビール党には日々おいしく飲むことができるでしょう。普段あまり飲む機会のない私が今まで飲んだ中で一番旨かったビールの話を一つ。
雑記
bluenote
2011-08-15T15:03:22+09:00
ビール党には日々おいしく飲むことができるでしょう。
普段あまり飲む機会のない私が
今まで飲んだ中で一番旨かったビールの話を一つ。
大学2~3年の夏、都内某区で発掘のアルバイトをした。
アルバイトと書いたが、大学の専攻が考古学だったので、
半分は実習みたいなものだった。
大学で実施する発掘現場からも話があったが、
なんだか窮屈そうなので、大学OBの学芸員の指揮する
某区の現場にお世話になることにした。
ご存知の通り、通常発掘は屋外で行われる。
暑い夏も、寒い冬も。
一般の人は、発掘というと、竹箆と刷毛でチョイチョイと
なぞって行っているというイメージがあるだろうが、
広い面積のところ、全部をあんな事していられません。
シャベルで掘っていて遺物にぶつかったらそこを避けて残しておき、
周りを確認してから竹箆と刷毛で仕上げます。
ですから、ある程度の深さまではスコップやジョレンで掘り下げていきます。
また、遺物はただ単に掘ればいいのではなく、測量して正確な位置を計測して
記録を残していきます。最後の仕上げのときに計測しながら記録していくので、
誤ってぶつかり、崩してしまわぬよう気をつけなければなりません。
精神的にも疲れます。
発掘現場の仕事にも慣れ、暑い日々が続いたある土曜日。
納涼会をすることになった。毎年恒例のことらしい。
その日はみな朝から楽しみに、ウキウキ気分で仕事をこなしていた。
3時の休憩の時、スポーツドリンクを飲んでいたら先輩に
「飲みすぎるとビールが旨くなくなるぞ」と言われたが、
喉の渇きには抗えず、500ミリのペットボトルを飲みほした。
早い人は3時の休憩で早退し、納涼会の準備に向かった。
(何しに行ったかは後ほど判明)
いつも通り定時まで作業すると、他の人も最低限の片付けのみ実施し、
そそくさと出かけて行った。
バスで某地下鉄駅まで行き、駅前の商店街で、ビールやチューハイなど多くの酒類、
唐揚げ、枝豆、ポテチ、さきいか、等おつまみを購入し、
10人以上の日に焼けた若い男と、2~3人の、やはり日に焼けたうら若き女性が、
一団となって荷物を抱え、徒歩でそこに向かった。
荒川の土手だった。
早退して先に行っていた人は、青いビニールシートを敷いて皆が来るのを待っていた。
携帯電話も普及していない当時、場所が取れたらどのあたりか発掘現場の電話に
連絡を入れていたようだ。
他にもビニールシートを敷いて座っている集団が数多く…。
そう。荒川を挟んで某市と同日に行われる花火会場だ。
当時はまだ指定席などなく、好きなところに自由に席がとれた。
花火打ち上げ開始までビールを飲むのは我慢しようと言っていたが、
そんなことが守られるはずもなく、まだ30分ぐらいあるにもかかわらず、
「開けるだけ」「香りを味わうだけ」などと言いながら、
みんな缶を開け、飲み始めてしまった。
喉の渇きを潤し、空腹により酔いが少し廻ってきたころ、
「ドーン」と音が響いてきた。
打ち上げ開始。
みんな拍手をしている。
それから1時間~1時間半ぐらい打ち上げられていただろうか。
途中でやはり足りなくなり、酒類やおつまみの買い出しに行く人もいたり、
「ドン、ドン」と音が響く中、酷暑の中の仕事の疲れに、
酔いつぶれて寝ている人も出てきた。
これ以降も数多くビールを飲んできた。
いつも口に入れた時は「うまい」と感じるが、
一過性のもので後々まで記憶に残ることはない。
暑い中の肉体労働終りの、花火を見ながらの冷たいビール。
この一杯に勝るビールは、まだ飲んだことがない。
夏の暑い日に、時々この時のことを思い出す。
このビールの頃だったかな?ぴよぴよ鳴く注ぎ口の頃だったのは確かだけれど…。
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Take the A…
https://closecover.blog.ss-blog.jp/2011-07-10
多くの人は気がつかないだろうなということに自分が気づいたとき、思わずほくそ笑んでしまう。
CM
bluenote
2011-07-10T12:22:15+09:00
自分が気づいたとき、思わずほくそ笑んでしまう。
別に大それたことではなく、
ここのところ時々流れている、iphone乗り換えキャンペーンのCM。
白地のところに文字が流れてきて、
iphoneに「乗り換え」て行くというCM。
携帯電話の会社を変更する「乗り換え」と
行き先に合わせて列車を「乗り換え」を掛けている。
それだけなら別に多くの人が気付くだろうが、
多くの人が気付きそうもないこと。
それは、使われている曲が「A列車で行こう」ということ。
といってもゲームソフトとは関係はありません。念為。
原題は「Take the A train」。
デューク・エリントンのバンドで有名なJazzのスタンダードナンバー。
映画「スウィング・ガールズ」でも演奏されている。
Wikiによると、
「A列車」とはニューヨーク市地下鉄の8番街急行のことで、
「(ジャズを楽しめる)ハーレムに行くなら、速く行ける "A"看板の電車
(すなわち "A" train = 8番街急行)にお乗りなさい」という意味がこめられている。
とのことである。
つまりあのCMは「A列車への乗り換え」を薦めている。
A=apple。
音も使って、アップルのiphoneへ乗り換えませんか?と薦めているのであろう。
え、auも「A」じゃないかって?
あの携帯電話会社は「嵐」や「レディ・ガガ」みたいな超メジャーなタレントを使い、
多くの人にアピールしているが、
ほんの一握りのJazzファンだけを相手にしようとは到底、思わないことだろう。
携帯純増数の違いがこんなところにも出てくる感じがする。
小さいところにも目を向けるような余裕の1位と、
取りあえず多くの人に目を向けてもらいたい3位と。
CMの出来では、やはり1位の方に良いものが多く感じる。
(ちなみに私が使っているのはsoft bankでもdocomoでもなく、
メジャー志向の3位、auであるのは紛れもない事実です。)
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もひとつ余計な情報。
調べてみると、私のiphoneではなく、同じ「A」社のipodには、
6曲の「Take the A train」が入っていた。
デューク・エリントンで2曲、グレン・ミラーで1曲、
以前ブログで取り上げたミシェル・ペトルチアーニで2曲。
そしてもう一曲。この歌手でした。
VIDEO
美空ひばりのJAZZもおすすめです。
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泣いてしまうのは局長だけじゃない
https://closecover.blog.ss-blog.jp/2011-07-02
是非観てほしい動画がある。
雑記
bluenote
2011-07-02T12:12:47+09:00
TVで観て、誰かが YOU TUBE にあげてくれないかと思って、
ときどきチェックしていたが、誰もあげてくれなかった。
自分でやればいいじゃないかと思うかもしれないが、
アナログの頃はPCに録画して比較的簡単に編集できたが、
デジタルになってから、コピーして編集するのが難しくなり、
また、編集するにしてもコンピューターのハードも
高度なものが要求され、うちの非力のマシンでは太刀打ちできそうもない。
他力本願に成らざるを得ない。
先日チェックしたら、やっと、あげられているのを見つけた。
よかった。
なにも言いません。
観て、泣いてください。
そして、平和を噛みしめてください。
VIDEO
(携帯、スマートフォンでご覧の方、ごめんなさい。
見られないかもしれません。自宅に帰ってから観てください。
「レイテからのハガキ」で検索してください。
もし消されていたら某国の動画サイトで「ナイトスクープ レイテからのハガキ」
もしくは「ナイトスクープ レイテからの葉書」で探してください。
キムチの国の、開けてはいけない箱の名前の動画サイトです。)
この放送はギャラクシー賞の選奨を受賞しました。
ギャラクシー賞とは放送文化に貢献した優秀な番組・個人・団体に贈られる賞で、
ドキュメンタリー番組やドラマで受賞することが多いのですが、
バラエティー番組で受賞することは珍しいそうです。
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僕とあなたと週末に…
https://closecover.blog.ss-blog.jp/2011-06-18
年が変わってすぐ、体調を崩し(みなさんご存知、腰痛。近年になく痛みが強かった。最近は痛みが出ても動けないほどの痛みにはならなかったが、一週間弱寝込むことになった。)、春の訪れとともに痛みが和らいでホッとしてきたのも束の間、例の震災が発生し、精神的に落ち込み、さらに連休前には別の身体的な小爆弾が見つかり(命にかかわることではないが)、更新が滞ってしまいました。拙い内容ですが、当方の生存確認をするために覗いてくださっていた方もおられたようで、ご心配をおかけして、申し訳ございませんでした。久しぶりですので、本日は長編となります。(ただ単に引用が長いだけだけど。)心して開いてください。
雑記
bluenote
2011-06-18T18:22:07+09:00
最近は痛みが出ても動けないほどの痛みにはならなかったが、
一週間弱寝込むことになった。)、
春の訪れとともに痛みが和らいでホッとしてきたのも束の間、
例の震災が発生し、精神的に落ち込み、
さらに連休前には別の身体的な小爆弾が見つかり(命にかかわることではないが)、
更新が滞ってしまいました。
拙い内容ですが、当方の生存確認をするために覗いてくださっていた方も
おられたようで、ご心配をおかけして、申し訳ございませんでした。
久しぶりですので、本日は長編となります。(ただ単に引用が長いだけだけど。)
心して開いてください。
自然が天災を惹き起こし、その天災が、安全装置のなかった装置で
人災を惹き起こす。
無能な人々の事後対応により、多くの人々が命の危険にさらされている。
本来自然界にはそう多くない、あるいは全くないはずの物質によって…。
確かに危険だという意識はあった。
ただ、技術の進歩である程度危険性は低くなっていると思い込んでいた。
便利さと引き換えに眼をつぶっていた。見て見ぬふりをしていた。
スリーマイル島、チェルノブイリ等警鐘がなっていたのを聞き逃していた。
反対の意思表示をしなかったこと。
私も、そしてあなたも、無罪ではないだろう。
いつか、改めてこの事実を噛みしめようと思った時、
探さなくて良いように、ここに全文写しておきます。
(改変していないことを示すため、全文記載します。)
スピーチにも著作権があるのかどうかわかりませんが、
削除するかもしれませんので、あらかじめご了承ください。
長いですが、是非ご一読ください。
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村上春樹 カタルーニャ国際賞 授賞式 スピーチ全文
「非現実的な夢想家として」
僕がこの前バルセロナを訪れたのは二年前の春のことです。サイン会を開いたとき、驚くほどたくさんの読者が集まってくれました。長い列ができて、一時間半かけてもサインしきれないくらいでした。どうしてそんなに時間がかかったかというと、たくさんの女性の読者たちが僕にキスを求めたからです。それで手間取ってしまった。
僕はこれまで世界のいろんな都市でサイン会を開きましたが、女性読者にキスを求められたのは、世界でこのバルセロナだけです。それひとつをとっても、バルセロナがどれほど素晴らしい都市であるかがわかります。この長い歴史と高い文化を持つ美しい街に、もう一度戻ってくることができて、とても幸福に思います。
でも残念なことではありますが、今日はキスの話ではなく、もう少し深刻な話をしなくてはなりません。
ご存じのように、去る3月11日午後2時46分に日本の東北地方を巨大な地震が襲いました。地球の自転が僅かに速まり、一日が百万分の1.8秒短くなるほどの規模の地震でした。
地震そのものの被害も甚大でしたが、その後襲ってきた津波はすさまじい爪痕を残しました。場所によっては津波は39メートルの高さにまで達しました。39メートルといえば、普通のビルの10階まで駆け上っても助からないことになります。海岸近くにいた人々は逃げ切れず、二万四千人近くが犠牲になり、そのうちの九千人近くが行方不明のままです。堤防を乗り越えて襲ってきた大波にさらわれ、未だに遺体も見つかっていません。おそらく多くの方々は冷たい海の底に沈んでいるのでしょう。そのことを思うと、もし自分がその立場になっていたらと想像すると、胸が締めつけられます。生き残った人々も、その多くが家族や友人を失い、家や財産を失い、コミュニティーを失い、生活の基盤を失いました。根こそぎ消え失せた集落もあります。生きる希望そのものをむしり取られた人々も数多くおられたはずです。
日本人であるということは、どうやら多くの自然災害とともに生きていくことを意味しているようです。日本の国土の大部分は、夏から秋にかけて、台風の通り道になっています。毎年必ず大きな被害が出て、多くの人命が失われます。各地で活発な火山活動があります。そしてもちろん地震があります。日本列島はアジア大陸の東の隅に、四つの巨大なプレートの上に乗っかるような、危なっかしいかっこうで位置しています。我々は言うなれば、地震の巣の上で生活を営んでいるようなものです。
台風がやってくる日にちや道筋はある程度わかりますが、地震については予測がつきません。ただひとつわかっているのは、これで終りではなく、別の大地震が近い将来、間違いなくやってくるということです。おそらくこの20年か30年のあいだに、東京周辺の地域を、マグニチュード8クラスの大型地震が襲うだろうと、多くの学者が予測しています。それは十年後かもしれないし、あるいは明日の午後かもしれません。もし東京のような密集した巨大都市を、直下型の地震が襲ったら、それがどれほどの被害をもたらすことになるのか、正確なところは誰にもわかりません。
にもかかわらず、東京都内だけで千三百万人の人々が今も「普通の」日々の生活を送っています。人々は相変わらず満員電車に乗って通勤し、高層ビルで働いています。今回の地震のあと、東京の人口が減ったという話は耳にしていません。
なぜか?あなたはそう尋ねるかもしれません。どうしてそんな恐ろしい場所で、それほど多くの人が当たり前に生活していられるのか?恐怖で頭がおかしくなってしまわないのか、と。
日本語には無常(mujo)という言葉があります。いつまでも続く状態=常なる状態はひとつとしてない、ということです。この世に生まれたあらゆるものはやがて消滅し、すべてはとどまることなく変移し続ける。永遠の安定とか、依って頼るべき不変不滅のものなどどこにもない。これは仏教から来ている世界観ですが、この「無常」という考え方は、宗教とは少し違った脈絡で、日本人の精神性に強く焼き付けられ、民族的メンタリティーとして、古代からほとんど変わることなく引き継がれてきました。
「すべてはただ過ぎ去っていく」という視点は、いわばあきらめの世界観です。人が自然の流れに逆らっても所詮は無駄だ、という考え方です。しかし日本人はそのようなあきらめの中に、むしろ積極的に美のあり方を見出してきました。
自然についていえば、我々は春になれば桜を、夏には蛍を、秋になれば紅葉を愛でます。それも集団的に、習慣的に、そうするのがほとんど自明のことであるかのように、熱心にそれらを観賞します。桜の名所、蛍の名所、紅葉の名所は、その季節になれば混み合い、ホテルの予約をとることもむずかしくなります。
どうしてか?
桜も蛍も紅葉も、ほんの僅かな時間のうちにその美しさを失ってしまうからです。我々はそのいっときの栄光を目撃するために、遠くまで足を運びます。そしてそれらがただ美しいばかりでなく、目の前で儚く散り、小さな灯りを失い、鮮やかな色を奪われていくことを確認し、むしろほっとするのです。美しさの盛りが通り過ぎ、消え失せていくことに、かえって安心を見出すのです。
そのような精神性に、果たして自然災害が影響を及ぼしているかどうか、僕にはわかりません。しかし我々が次々に押し寄せる自然災害を乗り越え、ある意味では「仕方ないもの」として受け入れ、被害を集団的に克服するかたちで生き続けてきたのは確かなところです。あるいはその体験は、我々の美意識にも影響を及ぼしたかもしれません。
今回の大地震で、ほぼすべての日本人は激しいショックを受けましたし、普段から地震に馴れている我々でさえ、その被害の規模の大きさに、今なおたじろいでいます。無力感を抱き、国家の将来に不安さえ感じています。
でも結局のところ、我々は精神を再編成し、復興に向けて立ち上がっていくでしょう。それについて、僕はあまり心配してはいません。我々はそうやって長い歴史を生き抜いてきた民族なのです。いつまでもショックにへたりこんでいるわけにはいかない。壊れた家屋は建て直せますし、崩れた道路は修復できます。
結局のところ、我々はこの地球という惑星に勝手に間借りしているわけです。どうかここに住んで下さいと地球に頼まれたわけじゃない。少し揺れたからといって、文句を言うこともできません。ときどき揺れるということが地球の属性のひとつなのだから。好むと好まざるとにかかわらず、そのような自然と共存していくしかありません。
ここで僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、簡単には修復できないものごとについてです。それはたとえば倫理であり、たとえば規範です。それらはかたちを持つ物体ではありません。いったん損なわれてしまえば、簡単に元通りにはできません。機械が用意され、人手が集まり、資材さえ揃えばすぐに拵えられる、というものではないからです。
僕が語っているのは、具体的に言えば、福島の原子力発電所のことです。
みなさんもおそらくご存じのように、福島で地震と津波の被害にあった六基の原子炉のうち、少なくとも三基は、修復されないまま、いまだに周辺に放射能を撒き散らしています。メルトダウンがあり、まわりの土壌は汚染され、おそらくはかなりの濃度の放射能を含んだ排水が、近海に流されています。風がそれを広範囲に運びます。
十万に及ぶ数の人々が、原子力発電所の周辺地域から立ち退きを余儀なくされました。畑や牧場や工場や商店街や港湾は、無人のまま放棄されています。そこに住んでいた人々はもう二度と、その地に戻れないかもしれません。その被害は日本ばかりではなく、まことに申し訳ないのですが、近隣諸国に及ぶことにもなりそうです。
なぜこのような悲惨な事態がもたらされたのか、その原因はほぼ明らかです。原子力発電所を建設した人々が、これほど大きな津波の到来を想定していなかったためです。何人かの専門家は、かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことを指摘し、安全基準の見直しを求めていたのですが、電力会社はそれを真剣には取り上げなかった。なぜなら、何百年かに一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、営利企業の歓迎するところではなかったからです。
また原子力発電所の安全対策を厳しく管理するべき政府も、原子力政策を推し進めるために、その安全基準のレベルを下げていた節が見受けられます。
我々はそのような事情を調査し、もし過ちがあったなら、明らかにしなくてはなりません。その過ちのために、少なくとも十万を超える数の人々が、土地を捨て、生活を変えることを余儀なくされたのです。我々は腹を立てなくてはならない。当然のことです。
日本人はなぜか、もともとあまり腹を立てない民族です。我慢することには長けているけれど、感情を爆発させるのはそれほど得意ではない。そういうところはあるいは、バルセロナ市民とは少し違っているかもしれません。でも今回は、さすがの日本国民も真剣に腹を立てることでしょう。
しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないでしょう。今回の事態は、我々の倫理や規範に深くかかわる問題であるからです。
ご存じのように、我々日本人は歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ国民です。1945年8月、広島と長崎という二つの都市に、米軍の爆撃機によって原子爆弾が投下され、合わせて20万を超す人命が失われました。死者のほとんどが非武装の一般市民でした。しかしここでは、その是非を問うことはしません。
僕がここで言いたいのは、爆撃直後の20万の死者だけではなく、生き残った人の多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、時間をかけて亡くなっていったということです。核爆弾がどれほど破壊的なものであり、放射能がこの世界に、人間の身に、どれほど深い傷跡を残すものかを、我々はそれらの人々の犠牲の上に学んだのです。
戦後の日本の歩みには二つの大きな根幹がありました。ひとつは経済の復興であり、もうひとつは戦争行為の放棄です。どのようなことがあっても二度と武力を行使することはしない、経済的に豊かになること、そして平和を希求すること、その二つが日本という国家の新しい指針となりました。
広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。
「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」
素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味がこめられています。核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者でもあります。
そして原爆投下から66年が経過した今、福島第一発電所は、三カ月にわたって放射能をまき散らし、周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。それをいつどのようにして止められるのか、まだ誰にもわかっていません。これは我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害ですが、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。我々日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊しているのです。
何故そんなことになったのか?戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?
理由は簡単です。「効率」です。
原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を持ち、原子力発電を国策として推し進めるようになりました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。
そして気がついたときには、日本の発電量の約30パーセントが原子力発電によってまかなわれるようになっていました。国民がよく知らないうちに、地震の多い狭い島国の日本が、世界で三番目に原発の多い国になっていたのです。
そうなるともうあと戻りはできません。既成事実がつくられてしまったわけです。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくてもいいんですね」という脅しのような質問が向けられます。国民の間にも「原発に頼るのも、まあ仕方ないか」という気分が広がります。高温多湿の日本で、夏場にエアコンが使えなくなるのは、ほとんど拷問に等しいからです。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。
そのようにして我々はここにいます。効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けてしまったかのような、無惨な状態に陥っています。それが現実です。
原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。
それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に、加害者でもあるのです。そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。
「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」
我々はもう一度その言葉を心に刻まなくてはなりません。
ロバート・オッペンハイマー博士は第二次世界大戦中、原爆開発の中心になった人ですが、彼は原子爆弾が広島と長崎に与えた惨状を知り、大きなショックを受けました。そしてトルーマン大統領に向かってこう言ったそうです。
「大統領、私の両手は血にまみれています」
トルーマン大統領はきれいに折り畳まれた白いハンカチをポケットから取り出し、言いました。「これで拭きたまえ」
しかし言うまでもなく、それだけの血をぬぐえる清潔なハンカチなど、この世界のどこを探してもありません。
我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。
我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。
それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが必要だった。それは我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となったはずです。しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。
前にも述べましたように、いかに悲惨で深刻なものであれ、我々は自然災害の被害を乗り越えていくことができます。またそれを克服することによって、人の精神がより強く、深いものになる場合もあります。我々はなんとかそれをなし遂げるでしょう。
壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になります。しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になります。我々は死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、彼らが受けた痛みや、負った傷を無駄にするまいという自然な気持ちから、その作業に取りかかります。それは素朴で黙々とした、忍耐を必要とする手仕事になるはずです。晴れた春の朝、ひとつの村の人々が揃って畑に出て、土地を耕し、種を蒔くように、みんなで力を合わせてその作業を進めなくてはなりません。一人ひとりがそれぞれにできるかたちで、しかし心をひとつにして。
その大がかりな集合作業には、言葉を専門とする我々=職業的作家たちが進んで関われる部分があるはずです。我々は新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させなくてはなりません。そして生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げてなくてはなりません。それは我々が共有できる物語であるはずです。それは畑の種蒔き歌のように、人々を励ます律動を持つ物語であるはずです。我々はかつて、まさにそのようにして、戦争によって焦土と化した日本を再建してきました。その原点に、我々は再び立ち戻らなくてはならないでしょう。
最初にも述べましたように、我々は「無常(mujo)」という移ろいゆく儚い世界に生きています。生まれた生命はただ移ろい、やがて例外なく滅びていきます。大きな自然の力の前では、人は無力です。そのような儚さの認識は、日本文化の基本的イデアのひとつになっています。しかしそれと同時に、滅びたものに対する敬意と、そのような危機に満ちた脆い世界にありながら、それでもなお生き生きと生き続けることへの静かな決意、そういった前向きの精神性も我々には具わっているはずです。
僕の作品がカタルーニャの人々に評価され、このような立派な賞をいただけたことを、誇りに思います。我々は住んでいる場所も遠く離れていますし、話す言葉も違います。依って立つ文化も異なっています。しかしなおかつそれと同時に、我々は同じような問題を背負い、同じような悲しみと喜びを抱えた、世界市民同士でもあります。だからこそ、日本人の作家が書いた物語が何冊もカタルーニャ語に翻訳され、人々の手に取られることにもなるのです。僕はそのように、同じひとつの物語を皆さんと分かち合えることを嬉しく思います。夢を見ることは小説家の仕事です。しかし我々にとってより大事な仕事は、人々とその夢を分かち合うことです。その分かち合いの感覚なしに、小説家であることはできません。
カタルーニャの人々がこれまでの歴史の中で、多くの苦難を乗り越え、ある時期には苛酷な目に遭いながらも、力強く生き続け、豊かな文化を護ってきたことを僕は知っています。我々のあいだには、分かち合えることがきっと数多くあるはずです。
日本で、このカタルーニャで、あなた方や私たちが等しく「非現実的な夢想家」になることができたら、そのような国境や文化を超えて開かれた「精神のコミュニティー」を形作ることができたら、どんなに素敵だろうと思います。それこそがこの近年、様々な深刻な災害や、悲惨きわまりないテロルを通過してきた我々の、再生への出発点になるのではないかと、僕は考えます。我々は夢を見ることを恐れてはなりません。そして我々の足取りを、「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。人はいつか死んで、消えていきます。しかしhumanityは残ります。それはいつまでも受け継がれていくものです。我々はまず、その力を信じるものでなくてはなりません。
最後になりますが、今回の賞金は、地震の被害と、原子力発電所事故の被害にあった人々に、義援金として寄付させていただきたいと思います。そのような機会を与えてくださったカタルーニャの人々と、ジャナラリター・デ・カタルーニャのみなさんに深く感謝します。そして先日のロルカの地震の犠牲になられたみなさんにも、深い哀悼の意を表したいと思います。
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以下の曲は、福島以前、多くがスリーマイル、チェルノブイリ以後に発表されています。
私が、あなたが、これらの曲の言いたいことを真摯に受け止め、行動していたら、
今回の人災は防げていたのかもしれません。
やはり清志郎はすごかった。
浜田省吾もすごい。
昨年秋、ベストアルバムを出したが、アルバムタイトルがこの曲と同じ、
「僕と彼女と週末に」。
言うまでもないが、「週末に」は「終末に」にかけてある。
曲中の科白から、有害物質が海に流失したようにも取れるが、
曲名から核汚染が連想される。
ちなみにこの曲が収録されていたオリジナルアルバムは、
核弾頭の前で浜田省吾が腰に手を当てて立っているデザインになっている。
佐野元春
アメリカでもスリーマイル島以前に、原子炉炉心溶融事故が起きていた。
デトロイト近郊エンリコ・フェルミ原子力発電所の高速増殖炉試験炉で起きたため、
「我々はデトロイトを失うところであった」ということになる。
この曲はスリーマイル島以前になります。
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Aはここにある
https://closecover.blog.ss-blog.jp/2011-01-02
A Happy New Year !
雑記
bluenote
2011-01-02T20:23:21+09:00
新年のあいさつで単独で表記するときは、
「Happy New year!」の方が正しいらしい。
「Good Morning!」や「Merry Christmas!」と同じ構造とのこと。
「a」の付いている表記は年末に用いられ、
「よいお年を」の意味になるらしい。
詳しく知りたい人はご自身でググってください。
その方が身につきます。
私も「A」が付かない方が正しいと知って、
付けずに表記して年賀状を出したこともあるが、
何となく落ち着かない。
理由はある歌の存在。
ユーミンの「a happy new year」。
この曲では「a」が付いているので、
付いていないとなんとなく違和感を感じてしまう。
私からの年賀状を受け取った方、そうでない方、
わたしからのメッセージ
「a happy new year」
には、ユーミンの歌詞
「今年もたくさん良いことが
あなたにあるように
いつも いつも」
が込められていると、ご理解ください。
ただし、そうは言っても、男性の方、
「新しいキス」は要りません、念のため。
この映画に使われていました!
ちなみに表題もユーミンの曲名です
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フェアプレイ
https://closecover.blog.ss-blog.jp/2010-12-07
結局、ベルマーレは1年でJ2に降格することになりました。昨年、このブログに順位表を貼り付けてから、機を同じくして成績が降下していったため、今年は当初より順位表はおろか、順位が上がってくるまで話題にするのは止めていたわけですが、その甲斐もなく、早くから降格圏に入ったまま、抜け出すことも出来ず、最下位でシーズンを終了することとなりました。残念です。
雑記
bluenote
2010-12-07T23:52:05+09:00
昨年、このブログに順位表を貼り付けてから、
機を同じくして成績が降下していったため、
今年は当初より順位表はおろか、順位が上がってくるまで
話題にするのは止めていたわけですが、
その甲斐もなく、
早くから降格圏に入ったまま、抜け出すことも出来ず、
最下位でシーズンを終了することとなりました。
残念です。
昨日、JリーグMVPの発表とともにフェアプレー個人賞の発表もあったが、
サンフレッチェ広島の槙野智章という選手が受賞した。
この選手が受賞スピーチの時、J2から昇格する3チームのチーム名を挙げ、
お節介にも「1年でJ2に戻らないように頑張りましょう」などと発言している。
余計なお世話だ。偉そうに。
この選手はパフォーマンスが有名な選手のようで、その言動が注目を集めている。
フェアプレー個人賞の概要に
「原則として、J1リーグ戦において警告・退場処分を受けていない選手の中から、
マッチコミッショナー報告書の評価を参考にし、選考委員会にて決定する。」
となっている。
別に通算出場時間で、あるいは最多出場試合数の選手でということでもないようで、
リストの中で注目される選手だから選出された、
いわば広告のための選出だったのではなかろうか。
そうでなければこのような無神経な発言をする選手がフェアプレーの名の付いた、
しかも高松宮杯が下賜されるというこの賞にふさわしいはずがない。
真のフェアプレーのできるスポーツマンを選出してもらいたいものだ。
もっとも、Jリーグ機構にフェアーなジャッジは期待できない。
大宮アルディージャが入場者数の水増しを行っていた。
始末書提出と制裁金2000万円が課せられたようであるが、
J2降格とかポイント剥奪等の制裁は課せられなかった。
プレーをしている選手は今回の件とは関係ないので、
そこまで重い罰則は適用しないということらしい。
J2の下のJFLのFC町田ゼルビアというチームをご存じだろうか。
JFLのチームがJ2に昇格するための条件が3つあるそうで、
• Jリーグ準加盟制度にのっとって、Jリーグ準加盟チームとしての承認を受ける。
• JFLリーグ戦で4位以上の成績を残す。
• Jリーグ側から(設備面、経営面等に関する)審査を受け、それに合格する。
これら全てに合致しなければ昇格することが出来ない。
このうちゼルビアは上の2つはクリアしたが、
一番下の審査に合格できずリーグ戦中にもかかわらず
9月初旬には来季昇格見送りがチームより発表された。
スタジアムの設備面の不備が理由ということだ。
選手は昇格を目指し必死に戦って、昇格が出来ないと解っても、
みごと3位でリーグを終了している。
Jリーグは地域密着を謳っているが、今のご時世、主に地方自治体が主体となる
スタジアム建設もしくは改修など簡単にできるはずもなく、
その辺を考慮して、もう少し弾力的な審査ができないものだろうか。
J1チームの「不正」には弾力的な対応をしたのだから。
こちらの方が「フェアプレー」なのでは?
(11月20日グランパス優勝後、ベルマーレのホーム平塚競技場にて)
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ネオンライトでは燃やせない
https://closecover.blog.ss-blog.jp/2010-12-05
このところ、毎朝7時15~20分位だろうか、文化放送の「ソコダイジナトコ」でJR東日本の年末年始の帰省キャンペーンのラジオCMがながれる。このCMに少し違和感を感じる。
音楽
bluenote
2010-12-05T23:26:13+09:00
文化放送の「ソコダイジナトコ」で
JR東日本の年末年始の帰省キャンペーンのラジオCMがながれる。
このCMに少し違和感を感じる。
中島みゆきの「ホームにて」という曲
(1977年、33年前!発表のアルバム「あ・り・が・と・う」に収録されている。)
が使われているが、
東京~青森が新幹線で直結した(正確には「新青森」になるが)
直後の帰省キャンペーンなのに、
この曲に出てくるのは、ブルートレインかあるいは客車の夜行列車という趣の列車で
とても最新鋭の新幹線の車両にマッチするようには思えない。
(歌詞の中に「白い煙と乗車券」というフレーズが出てくる。
現在上野駅に特別列車(例えば、SLが牽引する列車)以外に、
気動車およびディーゼル機関車が乗り入れることはなく、
「白い煙」は出ない。)
そこは、まあ良いとしても、
なんと、この歌の主人公は故郷に帰っていない。
切符を買ってホームまで来て、
いざ乗ろうというところまで来たが、
やはり帰ることは出来なかったという内容だ。
帰省キャンペーンで使っている曲なのに…。
もっとも、JRにしてみれば、乗車券を買ってもらえれば、
それを利用しようと、使わずに無駄にしてしまおうと、
買った後はご自由にということなのかもしれない。
(切符を買って帰る気満々でも、始発駅でドア開けてくれないと、
乗って帰れませんよ、JR東日本の運転手さん・車掌さん!)
この曲のYOU TUBEのコメント欄には、北海道の夜行列車「からまつ」が
モチーフではないかという意見もあるが、
私としては都内のターミナル駅を出発していく列車もふさわしいと思う。
ネオンライトきらめきや帰り人の笑顔は、
大都会と故郷の対比が大きいことを表しているのだろうから。
(当然、白い煙は見られないけれども。)
また、この曲はパーカッションがとても印象的な働きをしていて、
コンガと思われる打楽器が、レールの継ぎ目を越えて走る列車の車輪の響きを表し、
時折打たれる「ベル」の音が、踏切の警報機の音を思い起こさせる。
私の好きな中島みゆきの曲ベスト10にも入るであろうこの曲、
聴いたことのない人は、是非聴いてみていただきたい。
私としては上野駅から北に向かうブルートレインのイメージですが
無かったので、これで。
名盤「あ・り・が・と・う」
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少しのろくて、単純な、利口そうじゃない人。その名は「バーニー」!
https://closecover.blog.ss-blog.jp/2010-11-27
大変だ。2012年オリンピックも日本でやらなければならないかもしれない。
雑記
bluenote
2010-11-27T22:17:41+09:00
2012年オリンピックも日本でやらなければならないかもしれない。
先日、ブラジルGPの時、ジェイソン・バトンやザウバーチームのクルーが
相次いで強盗に襲われたことから、2014年のFIFAワールドカップを
治安の面で不安のあるブラジルから予備的に日本で開催することを
検討すべきだと書いた。
しかし、先進国であり、悪名高き監視カメラが数多く設置されている、
イギリスのロンドンでも有名人に対する強盗事件が発生してしまった。
その有名人とは、F1界のボス、「バーニー・エクレストン」。
24日夜、ロンドン中心部のフォーミュラーワンホールディングスに
ガールフレンドと到着した折、4人の強盗から暴行を受け、
時計や宝石(20万ポンド。約2600万円相当)を奪われたという。
エクレストンは先のブラジルGPの強盗事件の時に、こう発言していた。
「彼らは標的を探しているんだ。少しのろくて、単純な人物をね。
だが、利口そうな人を狙うことは決してない」
さすが、ジェイソン・バトンの母国で起きた強盗事件。
犯人は、本当に「少しのろくて、単純な、利口そうじゃない人」が誰なのかを、
見事に証明してみせた。
ただ、これでイギリスGPが開催されなくなってしまうのではないだろうか。
ジェイソン・バトンファンと思われる犯人に対する報復のために。
F1界の独裁者、エクレストンだったらそれくらいのことやりそうな気がしてしまう。
バーニーの大好物。私もお好きです。
バーニーのガールフレンドへ
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2014年ワールドカップを日本で!
https://closecover.blog.ss-blog.jp/2010-11-11
世界3大スポーツイベント。サッカーワールドカップ、近代オリンピック、そしてF1。毎年F1を開催し、ワールドカップを2014年、オリンピックを2016年に開催する国がある。日本にとって地球の裏側、ブラジルである。ただ、「サーカス」がついて呼ばれることもある、毎年各国をまわるF1が、ブラジルでの開催を見直す意見が出てきている。
雑記
bluenote
2010-11-11T23:35:44+09:00
サッカーワールドカップ、近代オリンピック、そしてF1。
毎年F1を開催し、ワールドカップを2014年、オリンピックを2016年に
開催する国がある。日本にとって地球の裏側、ブラジルである。
ただ、「サーカス」がついて呼ばれることもある、毎年各国をまわるF1が、
ブラジルでの開催を見直す意見が出てきている。
スポーツ紙での扱いは知らないが、一般紙ではほとんど報じられていない事件がある。
元ホンダチームのドライバーで、また恋人が道端ジェシカということで
日本でもおなじみのジェイソン・バトンが
先週のブラジルGPの時、マシンガンで武装した強盗に襲われたということである。
特別訓練を受けた武装警官がバトンの乗っている車のドライバーだったため
バトンは難を逃れることが出来たらしい。
元F1チャンピオンのジャッキー・スチュワートは、
この強盗は、バトンの誘拐が目的だったのではないかとの見解を示している。
バトン自身の財産というよりも、バトンのチームをスポンサードしている世界的企業
(マクラーレンの場合、ボーダフォンやモービル)に身代金を請求するのが目的だったの
ではないかということだ。
今年のブラジルGPの時には、小林可夢偉の所属チームである
ザウバーのスタッフも強盗に襲われた他、
F1関係者だけで、あわせて5組が難に遭ったということである。
とりあえずインテルラゴス以外での開催を検討する意見が出ている。
1991年、雨の中のセナの母国ブラジルGP初勝利、
2008年ファイナルラップ最終コーナーで(実際は最終コーナーではないが)、
マッサからハミルトンにチャンピオンタイトルが転がり込んだ逆転劇。
そんな名場面を演出してきたサーキットだが、以前から治安の悪さが問題になっていた。
ミハエル・シューマッハはインテルラゴスのレースには
家族を同行させることはないそうだ。
今までも問題はあったようだが、
今回、ドライバーも危険な目にあったため移転が検討されるようになったようだ。
さて、2014年のFIFAワールドカップ。
同時に何カ所かの試合が必要なため、ブラジル大会も、リオ・デ・ジャネイロだけで
開催するわけにも行かず、インテルラゴスサーキットのある、南部のサンパウロでも
数試合開催する必要が出てくるだろう。
ましてやそれ以上に小さな都市で、治安の悪い都市での開催もあることだろう。
正規F1ドライバーは24人。サッカー2チームの先発メンバーに2名多いだけ。
32カ国のチームということは、そのおよそ16倍の選手がやってくるということで、
各国のスタッフ、役員、応援団まで考えると相当数の人々が集まることになる。
警察やあるいは軍が警備にあたることになるだろうが、
その警備陣も悪人たちの手先が紛れている可能性も、日本より大分高いだろう。
大会開始1~2年前あたりから開催国でのテストマッチが組まれる。
もし、そのテストマッチの時、問題が起こったら開催が危ぶまれることになろう。
今年の12月に決定するという、2018・2022年のワールドカップ開催国。
日本が2022年の選にもれた場合、
2014年の万が一の際の代替開催を表明したら良いのではなかろうか。
ブラジルは国を挙げて大会運営に臨むだろうが、万が一の保険を掛ける意味で、
代替開催の検討必要性を訴え、代替開催を受け入れられる旨働きかけるのも
有りだと思う。
サッカー王国ブラジル。代替開催は国民が納得しないかもしれないが、
ブラジルはF1王国でもある。
アイルトン・セナを筆頭に数多くのドライバーを排出し、
現役ドライバーも4名いる。ドイツの7名に次いで多い。
そんな国民的スポーツイベントのF1ドライバーでさえ、狙われたのである。
サッカー選手は狙われないという保証はない。
逆に優勝候補の国の選手が狙われるという可能性が高くなるとも考えられる。
代替開催。充分考えられる事だと思う。
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バッテリーは、再び、ビンビンだぜ!
https://closecover.blog.ss-blog.jp/2010-11-07
先日、愛車「行進曲12SR」の12ヶ月点検を受けた。
雑記
bluenote
2010-11-07T00:07:42+09:00
その時バッテリーが劣化しているので早めの交換を勧められた。
自動車の電圧は12Vが標準だが、
数回計ったが、何回計っても10Vちょっとしかないとのこと。
週1~2回、エンジンが暖まったと思ったらすぐ止める、
などという運転の仕方では、バッテリーが持たないのもしょうがない。
前回交換は2年前。
その時はボッシュのバッテリーをチョイスした。
今回もボッシュにしようと思ってネットで調べていたら、
パナソニックの「Caos」が、思っていたより安価で販売されているようで、
そちらを選択。送料込みで6000円程度。
カーショップだと工賃を含めると10000円前後のようだが、
ナットを数カ所緩めて、バッテリーを置き換えて、ナットを締めて、
時計とチューナーの設定をするという作業だけなので、
当然自分で交換することに。
前回のボッシュも自分で交換しているので、手順も解っている。
「Caos」は3年または10万キロ保証だが、
「Caos lite」というシリーズもあり、そちらは3年または8万キロ保証。
同じ店で売価が1000円ほど安くなるが、
「lite」だけあって容量が少し小さくなるようだ。
バッテリーにとってはきつい当方の乗り方なので、高性能な「Caos」の方にすることに。
楽天で送料込み最安値を探し、注文すると、2日程度で配達された。
交換の為の工具、ソケットレンチかメガネレンチがあるはずなので
(前回交換しているのであるはず。)、家の中を探したが見つからない。
車の中だろうと、重いバッテリーを持って我が愛車の駐車場へ(徒歩1分程度)。
テンパータイヤ周辺、グローブボックス、車内の収納を探したが工具が見あたらない。
仕方がない。買いに行くかと車に乗り込み、キーをひねると…。
「カカカカ」と甲高い音が響くが、エンジンは回らず。
再びひねるも、おもちゃの機関銃のような音が響くが回らず。
三度ひねるも、痰が絡んで取り除こうとのどを鳴らしているような音が響くが
(汚い喩えすみません)、回らず。
少し間を置いて、比較的長めにひねって、やっとエンジンが掛かった。
今まで乗っていた車でバッテリーが弱ってエンジンが掛かりづらい時は、
「クククク」ともう少し低い音だったが今回はそれとは違う音だったので、
そのまま、日産のディーラーに行くことにした。
下手にエンジンを止めて、再始動しなくなってしまうと困るので。
(数日前、リコールの封書が来ていたが、そこにエンジンが始動しなくなる
畏れがあると書かれていた。それが原因かもしれないので。)
1kmも離れていないディーラーに車を止め、
駐車場にいた、試乗担当と思われる社員の人に見てもらうことに。
「カカカカカ…。」
「あ、これはバッテリーですね。」と即答。
経緯を説明すると、
「バッテリーを取り替えてみましょう」と
整備工場の方からレンチをもってきて、
ねじを緩めて、手際よく取り替えてくれた。
「じゃあ、エンジンを掛けてみてください。」
キーをひねると、勢いよくエンジンが回り出す。
「では、リコールの修理の方も、スケジュールを見てみますので中の方にお願いします」。
カウンターで待っていると、
「少しお時間いただければ、本日、できますよ」とのこと。
お願いすることに。
アイスコーヒーを飲みながら3~40分待っていると、修理完了。
結果的に自分ではバッテリーを取り換えずに、
ついでにリコールの修理も済んでしまった。
まあ、リコールの修理にわざわざ出向いたのだから、
バッテリー交換ぐらいサービスしてもらっても罰は当たらないだろう。
「Caos」のホームページにカーステレオの音が良くなるという記述があるが、
日産純正、1DINサイズにCD・MD・チューナー・アンプというカーステレオで、
防音もされてないコンパクトカー、
おまけにメーカーチューンとはいえ軽いチューニングがなされている、
少し大きめな音がするエンジンが搭載されていては、
良い音になっているかなんて解りやしない。
ただ、こころ持ち、エンジンが気持ちよく回るようになった感じがする。
単なるプラセボ効果かもしれないけれども。
結果や、よし。
おまけ! これぞ「日産 マーチ」!!
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2010年、可夢偉が鈴鹿のヘアピンでオーバーテイクを連発できた理由。
https://closecover.blog.ss-blog.jp/2010-10-17
確かに、今年のF1日本グランプリの小林可夢偉の走りはすごかった。ただ、来年の鈴鹿で同じような走りが出来るかと言えば、そう簡単には行かないだろう。
雑記
bluenote
2010-10-17T12:20:28+09:00
ただ、来年の鈴鹿で同じような走りが出来るかと言えば、
そう簡単には行かないだろう。
中継を見た人は走りに感銘を受けている人が多かったが、
なぜヘアピンであれだけオーバーテイクが出来たのか、
考えた人は少ないのだろう。
Yahooの知恵袋にも、可夢偉のインタビューから引用して
自分の車のパワーが無いのであそこでオーバーテイクするしか無かったと
理由を書いているが、なぜそれが何度も成功したのかは誰も書き込んでいない。
なぜ5回もオーバーテイク出来たのか?
その理由は3つあるのではなかろうか。単なる私見ではあるが。
その1。鈴鹿でのレース経験が少ない。
エッ?少ない方が良いの?と思うかもしれないが、
「ヘアピンではオーバーテイク出来ない」という経験からくる先入観が無い。
昨年はトヨタから金曜日のみのフリー走行で鈴鹿を走っているが、
F1での鈴鹿のレースは今回が初めてである。
その2。雨の影響で土曜日のフリー走行3回目をドライで行うことが出来なかった。
それによって、多くのチームが納得のいくセッティングが出来なかったと思われる。
ザウバーも同じように完璧なセッティングでは無かったかもしれないが、
うまい具合にある程度鈴鹿のコースに会っていたのであろう。
その3。同じく雨の影響であるが最も重要な理由。
激しい雨により、コースコンディションが変わってしまったということ。
コースに川が出来るほどの雨により、
レコードラインのラバーが、全部とまでは行かないだろうが流れてしまい、
レコードライン以外のところにあったタイヤかすや埃も同じように流れてしまった。
それにより、レコードラインとその両脇のコースコンディションの差が
通常よりも少ない状態になった。
例年だったら、オーバーテイクしようとレコードラインを外れて追い抜こうとすると
タイヤかすや埃に乗ってブレーキングがうまくできず、膨らんでしまい、
立ち上がりのパワーもうまく伝わらず、失速して、すぐ後ろに車が来ていたら
逆に抜かれてしまうだろう。
来年、鈴鹿に可夢偉のオーバーテイクを見に
ヘアピンで観戦しようと思っているあなた、
来年もオーバーテイクを連発するとは限りませんよ。
シケイン、第1コーナー、S字の方が良いかも知れません。
どこでも良いから、来年もオーバーテイク連発してくれ!
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